連絡アーカイブ

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連絡アーカイブ 1
・全国から支援の申し出が続々集まっています。引き続きよろしくお願いします(4月10日)
・本日荷の第一陣が現地到着。「ヤマト運輸の宅急便」で配達が可能です(11日)

・本日までに約30箱の支援物資が届きました! 「皆様の温かい心、気持ちに感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございます。
一度仕分けをしましてフリマのように皆に渡しています。また、周りの避難所にも
車で運びたいと思っています。フリマの状況をみて連絡いたします」  
(避難所世話役からの感謝のメール)(12日)

私が支援を呼び掛けるきっかけとなった南三陸町志津川の避難所の方々です。
いつ撮ったのかな?表情が硬いな。皆さんに送っていただいた物資を前にハイパチリ。
一番左は元社長。二番目は世話人の兄、三番目は避難所台所を取り仕切ってました
お母さんだと思います。多分。

・支援物資はフリーマーケット方式で世話人(被災者)によって配布されました。 =写真上。
(4月13日の午前8時志津川中学校)

・「ヤマト運輸の宅急便」で関東地方からだと翌日に配達出来ています。  
配送可能だということを知らない営業所もあるようですが、事業所止めではあり
ません。あくまで個人宛で発送してください。ただし、コンビニでは受け付けてく
れないところもあります。その場合集荷に頼むか営業所への持ち込みが必要です。(13日)
・『月刊WiLL』のワック出版が車を仕立てて、南三陸の当避難所と気仙沼ではエッセイストの
畠山重篤さんのお宅兼避難所を訪問しました。(13日)
http://mizuyama-oyster-farm.com/(畠山重篤氏のサイト)

・支援の申し出が多数あり、メールをいただきながらご返事を出すのが大幅遅延しております。ご容赦ください。(14日)
・福島大学の先生とボランティアがこのページを見て車で現地を訪問していただき
ました。世話人から以下のメールがありました。 「13時半頃福島大学○○先生来まして車4台分物資頂きました。
福島も大変な時に敏速に、そして自ら運んで頂き○○先生達には感謝で一杯です。学生の中に
故郷が岩手県山田町の方がいて高台から見た南三陸町とダブらせて見ていたのが印象的でした。
帰りたくても帰れないその思いを考えると胸が痛みました。こちらも今迄以上に頑張らねばと再度気持ちを引き閉めました。」

・南三陸町の一部に電気が通ったそうです。仮説住宅も200戸あまりが着工したようです。
(15日)
・現在、一時的に物資の受け入れを中止しています。17日に知人が仕分けと新
しい拠点づくりをかねて南三陸町に入っています。需要を見極めて送付を再開します。 (15日)
・現地に直接行かれる方は私宛にご連絡ください。(15日)
・志津川避難所の世話人から以下のような電話がありました。
「化粧水、乳液、女性物下着などが多数届きましたので避難所近くの民家で避難している
ご婦人にきていただいて頒布しました」(携帯電話での世話人の話)(16日)


・志津川世話人から以下のメールがありました。
「今日大雄寺(ダイオウジ)避難所=写真下=に野菜、靴、お菓子、化粧品、生理用品、服、届けました
。皆さん声を上げて喜んで居ました。大雄寺は志津川町の曹洞宗のお寺で檀家が約2000
位?の古いお寺です」

(16日)
・4月17日まで約1週間で「70箱プラス車5台分」の物資を届けることが出来ました。
みなさん本当にありがとうございます。 (17日)


・志津川の世話人が物資を歌津田の頭の地区にもっていってくれました。漁師さんみんな
面構えがいいですね。(17日)
・物資の受付を再開します!
これまで南三陸町志津川の避難所とその周辺に対して支援していましたが、新たに南三陸
歌津地区の自宅避難地区を支援対象に加えます。ここは150軒あった漁師町で、大半は
流されて残った60軒に約100人(女性40人、乳幼児2人、1-3歳10人)が身を寄せ合
って生活しています。いわゆる自宅避難です。
みなさんの支援物資を受けて地域に配送していただける世話役の漁師さんは次のように
語っています。
「食糧は町から2食分届いていますが、だんだん減っています。道はありますが1時間以上
車を走らせなければ店もなく(もちろんお金もなく)、不安な生活をしています。
電気、ガス、水道の復旧の見通しは立っていません」と語っています。 (18日)
・志津川世話人からメールがありました。
「今日も皆さんからの物資をもって老人施設を訪ねました。150人ぐらいのところです」 (18日)

・歌津田の頭地区に支援第一陣が届きました。
歌津田の頭地区世話人 「たくさん支援物資をいただきました。ほんとうにありがとうございます」(20日)


歌津の田の頭地区(自宅避難地区)にも支援物資の第一陣が着きました!写真上下は
世話人=漁師さん=が自宅で撮影、近所の人に来てもらったということです。
現地は昨晩は雪が舞って寒かったようです。 (20日)
・歌津田の頭世話人「今日も沢山の物資が届きました。
物資は明日みんなで分けたいと思います。今日も本当にありがとうございました」(21日)
・志津川世話人「今日は別の地区に皆さんの支援物資の一部を運んできました」 」
(21日)
・本日、広島市の方が米400キロ、味噌60キロ、醤油60リットルを歌津田の頭地区に届け
ていただきました。感謝!(22日)
歌津田の頭世話人「今日は雨なので仕分けして、止んだらみんなに配る予定です。個人でボラ
ンティアしてくださっている皆様、本当にありがとうございます。正確な情報ではない
んですけど遅くとも来月位には南三陸町の海沿いにも電気がくるらしいです」 (22日)
・志津川地区世話人「今日は志津川に送っていただいた物資を寺浜地区に運びました。
更に奥に車を走らせるとそこは、海岸沿いなのでホボ壊滅・海岸沿いの地形も変わり見
るに辛い気持ちでした(≧ω≦)この辺りは石巻市の管轄で合併したてのハジに位置して
まして思う様に物資が届いてないとの事でしたが知り合いがいず支援の受け取り人とし
て頼む事が出来ませんでした。物資を運んで段々周りが見え改めて凄まじさを感じ、
また物資を送ってくれる方々に感謝の気持ちでいっぱいですm(__)m本当に有難う御座居ま
す」(22日)

・南三陸歌津出身の女性が運営する支援サイトと提携(?)しました。
(このサイトの一番下をごらんください)支援者でオペラ関係の仕事をされている方
がいますのでこの女性を通じて「音楽のさし入れ」の話も進めます。(23日)
・新たに支援対象に志津川戸倉寺浜地区を加えました。志津川の世話人の紹介です。自
宅避難と集会所避難が混在した地域で人口は約100人。高校生以下の子どもが多
いようです。こどもに風邪蔓延で熱さましシードがほしいということで志津川世話
人を通じて医者に連絡してもらいました。(23日)
・志津川世話人と医療班が熱さましシートをもって駆けつけたそうです。ご心配をかけ
ました。26日に仙台から薬剤師の方が入りますので、熱さましシートも持って行って
いただけるように依頼しました。(24日)


・久しぶりに晴れた24日、世話人宅で皆さんの支援物資が一斉に配分されました。写真上。
歌津田の頭世話人「今日、支援物資を庭に広げて配ったんですが、みんな大喜びで、あ
っという間になくなりました。ボランティアの皆様、本当にありがとうございまし
た。その時の写真送ります」(24日)

上写真。歌津田の頭地区の配布の模様。(24日)
・志津川戸倉寺浜地区にも支援物資第一陣が届きました。
戸倉寺浜世話人のメール「さっそく荷物が届きました。子供達に渡したいと思います。本当に
ありがとうございました」 (25日)
・誰かジャージ(古着でも清潔ならOK)を送っていただけませんか?!
歌津田の頭の世話人の夫人「漁民はジャージがある程度あれば、普段着にも寝まき
にも何でも活用出来るので…」 (25日)
・歌津田の頭地区世話人「(下)写真は自宅です」

・仙台の薬剤師K・Yさんが南三陸・歌津地区を訪問し、家庭薬を配布していただきました。  
Kさんのレポートです。
下写真。たちまち大勢の人々が集まってくださいました。(26日)

・戸倉寺浜地区世話人の夫人「お陰様で 子供達から大人まで 大喜びの物ばかりです。
皆様には 本当に心からお礼申上げます。ありがとうございました」
戸倉では送っていただいた物資はすべて約30世帯に均等配分しています。
下写真は仕分けの様子です。 (27日)


・歌津田の頭地区の世話人 「今日、南三陸町の荒砥地区に物資を配りに行きました。
荒砥地区のみなさんも『買い物にも行けないので助かった』と大喜びでした。
写真(下)送ります」(27日)


・歌津田の頭地区世話人「今日も沢山の支援物資が届きました。ありがとうございま
す。それと、電気きました! 眩しいです! 」(29日)
・戸倉寺浜地区世話人の夫人から要望がありました。
「こちらの地区の集会所(避難所)では発電機で午後の数時間だけ、電気を使えます。
冷蔵庫があれば皆さんから送っていたただいた野菜などが少しは保存できるのですが。
冷蔵庫を送っていただけませんでしょうか」
(とりあえず、中古の小型冷蔵庫をこちらで用意し、埼玉から現地入りする人に託しました。
(29日)
・戸倉寺浜地区の世話人宅を漫才師の サンドイッチマン が訪問しました。写真(下)は皆
さん に送っていただいた物資をみているところのようです。(30日)

・戸倉寺浜地区のうち避難所(6世帯)は、連休あけをメドに解消する運びです。
一部完成する仮設住宅に優先入居出来ることになったそうです 。
(30日)
・30日ごろに東京都内と千葉県から南三陸町に向けて車が2台でます。
送付先が分かっている物資などがありましたら連絡ください。(26日)
・歌津田の頭世話人「今日は遠い所から、わざわざ支援物資を持って千葉県市川市のY・
Wさんが来てくれました。いろんな話が出来て、とても有意義な1日でした」
(30日)

・戸倉地区に冷蔵庫を届けてくれたY・Wさんのレポートです。(5月2日)
・続いて出版社勤務、N・Yさんのレポートです。(5月3日)
・続いてケアマネージャー、S・Tさんのレポートです。(5月3日)
・南三陸町の避難所は、町外、町内への二次避難を促進しています。
東京・品川の Hさんのレポート です。(5月3日)



5月4日。歌津地区の世話人さんが皆さんの支援物資の一部をお隣の泊浜地区に
配達していただきました。=写真上。出てきていただいたのは台所を預かる女性ばかりだったようです。

・戸倉寺浜世話人夫人「今日は前にいただいた方で再び送っていただく方が多かった
ようです」写真下、戸倉では仕分けは男の仕事? (5月5日)


・ 志津川避難所世話人は、みんなで町内の別の避難所に移動します。
志津川世話人からメッセージ①、②がありました。(5月4日)

・戸倉寺浜地区世話人「今日もたくさん届きました。物資に 鯉のぼりが入って来まし
た。子供達は 大喜びです。みなさん 本当にありがとうございます」 (5月4日)


・保守ブログ 「正しい歴史認識」さんも南三陸町を訪問。(5月4日)
・戸倉寺浜世話人「さっき 海洋青年の家に行ったら 仮設住宅(写真下)が出来てました」
(5月6日)

・夫婦でボランティアをした 三重県のHさん夫妻が、南三陸、気仙沼支援のネットワークづくり
を提言されています。
(5月6日)

・戸倉寺浜世話人「今日、無事電気がつきました。あたりまえのことがこれほど嬉しい
とは思ってもみませんでした。復興まで時間はかかりそうですが、みんなで力をあわせて頑
張っていきたいと思います。これまでのご支援ありがとうございます」
(戸倉寺浜の避難所が閉鎖されることもあり、世話人と相談の結果、戸倉寺浜への物資の
送付は一時中断致します。完全にストップするわけではありません)(5月6日)

・『愛国女性のつどい花時計』さんと『中野区南台地区』の住民が集めた女性用品
や衣類などの物資が歌津中学避難所(天皇陛下が訪問された避難所です)で行われる
母の日ギフト(8日、9日)として避難所で大量配布されることになりました
花時計会員さんは 一堂に会して荷づくりをして発送していただきました。感謝です!
(5月7日)
・歌津田の頭世話人「今日、石巻港所属の底引き網漁船が赤字覚悟で漁に出港しました。
東北の漁業復活のためにも頑張って来てほしいです」(5月7日)
・戸倉寺浜地区に(株)エコステップ社提供の冷蔵庫を届けてくれた ワック出版のKさん
の報告
です。(5月7日)
・横浜市のYさんが歌津田に発電機を送付してくれました。
歌津田の頭世話人「早速、船の修理や井戸の水汲み等に役立てたいと思います」(5月8日)
・戸倉寺浜世話人夫人「あすから子どもたちは学校です」(5月9日)
・歌津田の頭世話人「昨日、泊浜、荒砥地区に配達しました。支援している皆様にお礼
を伝えて下さいとのことでした」(5月10日)
・南三陸町では仮設の入居にあたって入居者がやかんや鍋、食器などをどうするかが問
題なようです。(詳しい情報は不明)
・南三陸町を無料バスが走り始めました。(5月11日)

・志津川世話人「志津川中学で地震発生2か月の合同慰霊祭を行われましたが、復興について
はなにもかもが遅いと感じました」(5月11日)
「なぜ国民の命を救わぬ」(青森県の方の本サイトへの震災対策についての投書 5月11日)

・志津川世話人Kさん(志津川中避難所→ホテル観洋避難所) が役場の臨時職員となりました!
当面、地元ミニFM局(30ワット)の立ち上げを行うようです。
志津川世話人Kさん
「役場臨時職員で地元ラジオ局で働ける事になりました。来週火曜日スタートです。外回り等
あるので今より詳しい情報も聞けるのかなぁと思います。またそれと平行してこちらの支援関
連でも動こうと思っています」(5月12日)

・戸倉世話人「お疲れ様です。今日はこちらであった事を報告します。海洋青年の家に 坂本九さ
んのお嬢さんと ティボランの方が来てみんなで『上を向いて歩こう』を歌いました=写真下。 その後
岬漁港より マグロが来て 解体ショウがありました。久し振りに刺身が食べれて幸せでした」
(5月15日)


☆自宅避難地区の 漁師さんにインタビューしま した。
まとめると、①出漁の見通しが立たず、無収入の状態が続いている。
②食糧が不足しつつある。
③行政の支援は少ない。
④電気は通ったが上下水、ガスは見通しない
-ということです。 (5月15日)
・5月16日、歌津地区の世話人さんが自宅の庭で地区の方に物資を配布していただきました=写真下。 
「頂いた野菜を漬け物にして皆で美味しくいただきました。最終的には50人位集まりました」(歌津世話人)



・「ダンボール一箱」の支援を開始して一カ月以上経ていますので、支援参加者に「中
間まとめ」を同時送信メールで送信しました。
メールが来ていない方は当方の見落としですのでご連絡ください。
(5月17日)
・ヤマトの「クール宅急便」が宮城県全域で再開しました! 
(5月17日)

・仮設住宅への入居が遅れています。理由のひとつはナベ、カマがないことです。(5月18日)



5月18日、歌津地区の世話人さんが石浜地区(※地図で見ると、さらに気仙沼に近いところ
のようです)に皆さんの支援物資の一部を配達にいってくれました。=写真上。これから暑くなります。
「皆さん本当にありがとうございます」(歌津世話人)

・戸倉寺浜世話人「今日は袖ヶ浦(千葉県)から鮨屋さんがきてくれました。NHKも取材
にきました=写真下 (5月18日)


・戸倉寺浜地区で、井戸(写真下)から水をくみ上げる「水中ポンプ」を求めています。
これまで手で汲みあげていましたが、電気が通りましたので数セット募集します。(5月22日)
※3台を確保できました募集を打ち切ります。
戸倉寺浜世話人の夫人の話「親類に送ってもらったのを含めて全部で3台確保できました。みなさん
ありがとうございました。このポンプを交代で使っています。お陰で毎朝の水くみが楽になりました」
(6月1日)。


・歌津世話人夫人「 昨日、歌津の辺りの海底調査が行われましたが、瓦礫やゴミ等は見当たらず
綺麗になっていたそうです。 あとはいつgoサインが出るのか…。 うちはその
日に向け、昨日から気仙沼の造船所に修理をお願いしてました。津波で流されながらも
無事だったうちの船…傷だらけでも戻ってきた時の嬉しさは言葉にできません。
そんな船の為にも早く漁をさせてあげたいですね。早ければ夏の篭漁(タコ、ツブ貝)、
無理なら秋の鮭漁までには何とか出漁出来れば良いのですが…」(5月20日)
・戸倉地区に冷蔵庫を提供してくれた東京の篠田さんが、「岩手出身の青年を屋根職
人として採用した」ということです。篠田さんは東京渋谷に事務所を持つ内外装工事の女
性経営者です。(5月21日)

・戸倉寺浜世話人「ちょっと市場に詳しい方に聞いた話では、宮城県産の魚介類も敬遠
されていると聞きました。そろそろ新船を用意してカゴ漁の準備をしなくてはならない
時期ですが、先の見えない不安が続いています」(5月21日)
・千葉県柏市の農家でネギを大量に提供していただける方がいます。車で被災地支援に
向かわれる方連絡をください。
(5月22日)
・ネギの輸送は練馬の大野さん、川崎の松下さんが引き受けてくれました。(5月22日)

・仙台の薬剤師、木戸康子さんが現地で 二回目の家庭薬の配布 をされました。志津川世話人が勤務するFM局の写真(下)も
撮影してくれました。(5月22日)



・(株)リーグの寺尾さんが戸倉に水中ポンプを送っていただきました。(5月24日)
二台めを5月29日に仙台の渡邊さんが送ってくれました。
・戸倉寺浜世話人夫人のメッセージです。
「いつもありがとうございます。これは 震災の五日前の進水式の写真(下) です。(「松島丸」は沖に
逃れて津波を乗り切りました) いつか この船で大海原で頑張って魚を取りに行きます。それ
まで 応援して下さい。」(5月24日)

・歌津世話人夫人「やっと今日、お風呂が直り久々に自宅の浴槽に入る事が出来ました!!
添付したバケツ風呂(笑、写真下)とは違い、体の芯まで温まりました。忙しい中わざわ
ざ修理してくれた職人さんにも感謝!(風邪で辛そうでしたが、やはり震災後は故障が多く
、かなり忙しくなっているそうです)
なんだか震災を境に、感謝する事・ありがとうと口にする事が増えたような…、 平穏な日
々が戻っても、この気持ちは忘れてはいけない!と自分に言い聞かせつつ、今日は失礼します」
(5月24日)


・5月25日、歌津の世話人夫人さんが泊浜の別の場所で、皆さんの支援物資の一部を配布して
いただきました。=写真下。皆さん帽子をかぶっていませんね。



【気仙沼市本吉町への支援開始】本吉町津谷とその周辺地区を新たに支援対象地区に加えまし
た。津谷は歌津の隣で同じ「本吉郡」でしたが市町村合併で気仙沼となりました。「世話人」は
元町議で避難所の運営にあたるSさんです。
Sさんへのインタビューです。(5月25日)

・歌津世話人夫人「今日は泊浜一区の前回とは違うお宅へと物資をお届けしました。
20人弱は集まったかと思います。 すすぎが一度で済む洗剤や野菜ジュース、お菓子
や夏物衣料など大変喜ばれました。2ヶ月以上経っても変わらず続く御支援に、心から
感謝しております。 お届け先にはお義母さんと私で行く事が多くなりました。物資を
仕分けし、車に積み込み、庭先にて並べ、商品の説明からオススメまで…。
何回か続けるうちに要領よくテキパキこなせるようになりました。
二人とも楽しんでますし、何よりも皆さんに喜ばれるのが一番嬉しいです。
届く物資もバランスよく必要な物ばかり入れてくださる為、余る事もありません」=写真一番上
(5月25日)
【志津川中学避難所への支援を再開】します。元ここの避難所にいたTさんが(ホテル
観洋避難所に移動、仮設住宅当選)が役場の臨時職員となって再び志津川中学の炊事担
当となりましたので、当面、Tさんあてに副食に限って送ることにします。
志津川中学の避難民は全部入れ替わり、逆に避難民は100人ほどです
Tさんの話「冷蔵庫が入りました。「野菜」、「肉」、「卵」、「蒟蒻」など。また、「豆腐」、「油揚げ」など
味噌汁の具、その他濃厚酢などの調味料をお願いします」(5月26日)

・戸倉世話人夫人「ここ数日、海に網を刺していますが、魚はいます。津波で養殖、銀サケが
逃げ出しましたが、それが網にかかって試食しましたがおいしかったです」(5月28日)

【仮設住宅入居をめぐる事情】
家を失った人にとって仮設住宅への入居が唯一の希望とされてきましたが、仮設住宅の
入居にも手放しでは喜べないさまざまな問題があるようです。
そういう人たちへの支援をどうするのか国の大きな課題です。
「歌津の世話人夫人」が、友達三人に電話してそのあたりの事情を探ってくれました。
(5月28日)

・「送ってもらった水中ポンプを使って今朝の水くみの光景です=写真下」(戸倉世話人夫人)
井戸から水を汲んで、それを自宅に引き入れているようです。水中ポンプ大活躍です。(5月29日)

・歌津世話人夫人「昨日ご近所さん宅にお届けした際と、今日の午前中に配達に
いったお宅の写真(下)です。こちらのお宅(下右)では震災後から3家族が一緒に生活しています。
とても喜ばれました。『皆さんにありがとうと伝えてください。』との事です」
(5月29日)

・「『Go smoking 友の会』という、ご時世に逆らった喫煙を肯定する」グループが25
カートンものたばこを現地に送ってくれました。「一箱だけの者、カートンごとの者、携帯灰皿を持ってきた者、
馴染みのタバコ屋から試供品を脅し取ってきた者など、 様々」だそうです。(5月30日)
・戸倉世話人「海洋青年の家に柔道の山下選手がやってきました記念写真(下)をパチリ」(6月3日)。


・歌津世話人夫人「今日は東京の廣瀬さんが足を運んでくださいました。廣瀬さんは何度もきてもらっていますが、
私は初めてです。オフレコの話、熱い話などなど、楽しくお話させていただきました」(6月3日)

・6月3日、気仙沼市本吉町津谷の「松尾コミュニティーセンター避難所」の世話人の元町議さんから
初めての写真下が届きました。奥の方にお子さんも見えます。

・6月4日、南三陸町の仮設住宅への当選者の入居が遅れている問題が全国ニュースで取り上げられています。

・6月4日、川崎市の納豆店経営の松下徳太郎さんが大量の納豆と衣類、ベビーベッド、また、柏市のTさん提供の
ネギ100キロ以上 (ほかに常温保存可能牛乳1リ ットル×6パック、こんにゃく5枚) などを積んで
志津川中学避難所に到着したところです。笑顔の女性は志津川中学世話人です。=写真下、東京の廣瀬さん撮影。


・6月7日、志津川中学避難所=写真下「これまでに届いた材料から作りました。大変おいしくいただきました^о^


志津川中学炊事場(写真下、野田さん撮影、6月5日)。右、松下さんが休憩用椅子を届けました(6月20日)

皆様!有難う御座いましたm(_)m」=写真下(世話人)

・千葉市の野田由美子さん夫妻が二度目の訪問をしました。
 その現地報告です。(6月6日)

・川崎市の松下徳太郎さんの 現地レポートです。(6月6日)




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