山際澄夫のホームページ
東京・品川のHさんの現地からのレポート
残ったホテルにレストラン開店
御世話になります、Hです。
今日は、志津川中、戸倉寺浜、そして荒砥の避難所も伺ってきました。
歌津にも足を延ばす予定だったのですが、夕方になってしまった為、断念しました。
電話したところ、明日、皆さんいらっしゃるとのことで11時頃からお土産持参でお邪魔
しようと思っています。
志津川中では、炊事場が今日で撤去されるということで、炊事場を仕切っていたT・Yさ
んが憤慨されていました。もう、焚火を囲んで呑むことが出来ないかもしれないと残念
そうでした。
Tさんのお話では、ベイサイドアリーナが7日には被災者が滞在出来なくなるとのこと。
1000名弱の方がまだ避難生活をされているとは思うのですが、一体、何処に行くという
のでしょうか。
志津川中学校などにも、その一部の方が来るという話ではありました。
その場合、現在支援物資の置き場にもなっている武道場を使用するらしいです。
ホテル観洋も、9月末まで600人の被災者の受け入れを行うとのことですが、
いつから入れるかも、その他詳細は全く決まっていないそうです。
(ホテル観洋は、2店舗のレストランが既に開店していました。昼食はそこでシーフード
カレーを頂きました。
行政が人手不足で回っておらず、マヒ状態なのは間違いないのですが、
情報不足ゆえ、各々の避難所の中でも色々な噂などが広がっていて、
それに皆さんが一喜一憂している状況も生まれている様な気がしました。
「良い知らせでも悪い知らせでも、皆に伝わる様な形で広報してもらいたい」と
Tさんがおっしゃっていましたが、全くおっしゃる通りだなと…
戸倉寺浜の避難所では、世話人のHさんなど15人ほどの方に迎えて頂きました。
私が持ちこんだ物資の七割はこちらで下ろしました。
川崎でMさんから預かった納豆も大歓迎されてました。
近くの集落の方は、殆ど集団避難していて既にいらっしゃらないそうです。
戸倉へ向かう道も殆どがアスファルトが津波に剥がされていますね。
電柱の敷設工事は行われていましたが、志津川からも10km離れているので復旧までは大
分掛かりそうです。
冷蔵庫の件は、本当に感謝されていましたよ。
先日、物資を持っていっていただいた「荒砥」の避難所にも行ってみました。
中にテントが何張りも用意されていて、皆さん快適だと仰ていました。
シビックフォースという団体がお風呂を作ったり、物資の搬入を行っていました。
自宅避難の方も物資は取りに来ているという話でしたが…
(4月30日)
仮設住宅建設に従事
志津川中学避難所の様子を報告します。
避難所に滞在されている方は現在70人程度です。多くの方は二次避難で町外に出たり
りして避難所を離れたとのこと。学校の授業は12日再開です。体育館は避難所として
使用し続けます。しかし、現在避難している方の9割は、5月7日の「ホテル観洋」に
移動されるようです。ただ、そこには仮説トイレが少ない、風呂に入れないなど新たな
問題もあるようです。Tさんらが、食事の副食などをつくっていたスペースは撤去されま
した。お茶を飲むスペース、喫煙所があるだけです。
避難所野うち最大だったベイサイドアリーナと志津川小学校は今月7日以降に解散にな
ります。そこから新たに志津川中学に流入することになりそうで、人数は200−30
0人になるとのこと。
インフラの回復ですが、志津川中学とその一帯に電気が通っていない。
物資受け取りの世話人のKさん兄弟、Oさんも仮設住宅建設の仕事をしています。
(5月3日)
タイムカプセル開封式
いま、「逃げてください」と最後の放送して、自らは亡くなった町直員、遠藤未希さん
の同級生が志津川中で、タイムカプセルの開封式をやっています。マスコミは大集合し
ているので、今日は志津川中学の様子が流れると思います。
(5月3日)
新しい自治の確立
志津川中学校は避難所の中で規律正しい自治が確立されていました。が、それも5月7
日でいったん終了です。世話人のKさんらが「ホテル観洋」に移動することで、今度はど
なたがリーダーになっていくのか。炊事場がなくなってしまったのは残念ですね。
毎日新聞仙台支局の記者の方に聞いたのですが、ここの料理のうまさは他の避難場所に
も聞こえていたようです。みなさんからの支援物資や、その他の食材で多種多様な料理
をつくっていらっしゃいましたからね。
(5月3日)