山際澄夫のホームページ

Y・Wさんのレポート
山際様
いつも大変お世話になっております。
4月30日に南三陸町に行ってきましたが、せっかくですので報告のようなものをさせて
頂きます。
前日の深夜に出発し、朝7時頃志津川中学校に到着、それから17時頃まで活動し、翌日の
深夜の4時に帰宅、という強行軍でしたが、おかげで渋滞に巻き込まれずすみました。逆
に関東圏からあまりにも簡単に行けてしまうのには驚きました。
現地では志津川地区のK様、戸倉地区のH、歌津地区のA様を訪問しました。
支援物資は星様からの依頼の冷蔵庫1台と、あとは3箱のダンボールに野菜・果物・紙
パックジュース・酒などをそれぞれ詰め込みました。
最初は志津川中学校にK様を訪ねたのですが、復興祭の準備で周囲が大童の中(後で分か
ったのですがエグザイルが来たそうです)、こちらが心配になるほど丁寧に対応してく
れました。詳しい地図も書いてもらったお陰でスムーズに戸倉・歌津に行くことができ
ました。
戸倉では訪問した丁度その時、お子さんが交通事故にあって救急車を待っている、とい
う大変な状況だったため、冷蔵庫とダンボールを下ろして早々引き上げました。
最後に歌津にA様宅を訪ねたのですが、ここでは非常に歓待され、結局南三陸町での時間
はほとんどここで過ごしました。
支援物資を持ってきたことよりも、わざわざ遠くから訪ねてきてくれた、ということに
感激しているようで、特に話の中で「以前こんな荷物を送りましたが・・」ということ
に触れると、「あの励ましの手紙を入れていたあの方ですか」(物だけ送るのも味気な
いので手紙を入れていたのです)とまた感激して、そのままずっと夕方まで語り合うこ
とになりました。
A様のご両親と妹さんを含めた4人と本当に色々な話をしたのですが、何点か特に抜き出
してご報告します。
Q「ガレキの撤去が全然進んでいないように見えるのですが」→A「復興作業はまず道
を作ることを最優先に進められており、最近ようやく道が開通した。これでも前と比べ
ると相当きれいになった。道の脇のガレキの山は危険ということで一般人は撤去作業を
禁じられていて、ずっとそのままになっている」(私が車から見た印象では、ガレキの
撤去作業はまだ始まってもいない様子でした)
Q「子供たちは何をして過ごしているのですか」→A「大型車両がひっきりなしに通
り、不審者も時折現れるため、子供を外で遊ばせることはできない。といって屋内で遊
ぶ手段もなく、無為に過ごすしかなく、本当に可愛そうだ」(実際H様のところではお子
さんが交通事故にあっている。南三陸町にいる間、子供の姿をほとんど見ませんでし
た)
Q「震災から1週間たっても南三陸町では2万人が消息不明と報道されていて、本当に
心配でした」→A「震災後しばらくは道がガレキで完全にふさがれていてほとんど外に
出ることができなかった。当然支援物資も届かないため、漁師をしている家では出漁時
積み込むための食料を備蓄している家が何件かあり、お互いに融通つけあって、なんと
か支援がくるまでの間しのぐことができた」
Q「仕事はあるのですか」→「仕事はない。漁に出るにしても政府が宮城沖の海産物の
放射能量の値を公表しないため、安全なのかどうか分からず、獲るに獲れない。そのた
め今は行政と相談して、漁師が船を出して海岸沿いのガレキを沖に運んで沈める仕事を
提案している最中で、一応連休明けから始める話になっている。それにしても長く続く
仕事ではないので、今から今後のことを考えておかなければならない」
他に今回の支援活動について、全国から支援者に自費で物資をそろえて自費で発送して
もらう、という話を最初に聞いた時、そんな虫のいい話が世の中にあるのかと半信半疑
だった。しかし実際続々支援物資が送られてくるのをみると、人の善意とは何とすばら
しいものかと感謝の気持ちでいっぱいになった。将来なんとかして恩返しをしたいの
だ、ということを繰り返し言っていました。それから全国からやってくるボランティア
の人々に対しても、こんな立派な人達が大勢いることに感謝してもしきれない思いだ、
とも言っていました。
私は行く前は、大震災から50日がたち、現地では人心の荒廃がすすんでいるのではない
か、と一抹の不安を抱えていたのですが、1日動きまわった印象として、荒んだ空気と
いうものは感じませんでした。それには被災者の方々のたくましさという面が当然ある
のでしょうが、全国からの善意の流れが、色々な形で途切れずに続いているからこそ、
将来の不安に押しつぶされることなく、前を向いていられるのではないか、と思いまし
た。皆さんも物もうれしいが、何よりもその心がうれしい、と言っていました。
私もコツコツと途切れることなく支援活動を続けて行きたいと思いますので、今後とも
宜しくお願いします。
                            5月2日  Y・W


あの丘の向こうは普通の町

ガレキ撤去作業をしている作業機械は少なかった

こんな風景が延々と

タコ券というのが代用紙幣として使われている


ボランティアの打ち合わせ


戸倉小学校か?.


車は至る所で放置されている


歌津大橋は落ちた.JPG

ガレキを焼く煙が四六時中立ち上っている


ポイ捨てしてるのは誰?

秩父錦を持っていきました。