山際澄夫のホームページ
Sさんへのインタビューと支援要請メール
【元町議で避難所運営委員のSさんへのインタビュー】
Q、本吉町津谷地区の津波被害はどんな風だったのですか。
A、海岸線から4キロも離れていて津波に対する警戒心もなかったかも知れません。
50戸のうち、35戸が流されてしまい、5人ほどが亡くなられました。
無事だった人が避難して出来たのがこのコミュニティセンターです。
Q、避難所は最初どんな様子でしたか。
A、最初は避難所に百数十人が避難していましたが、家に戻れる人もいたり、親類のう
ちに引っ越したり、故郷を後にしたりしています。
今は避難所は7世帯18人です。やはりお年寄が多いですね。
Q、避難所を運営する上で苦労がありましたか?
A、最初はここは避難所ではなかったのですが、市にかけあって避難所扱いにしてもら
いました。ここは体育館のような大部屋ではないのでその点は条件がいいと思います。
Q、Sさんも避難所ですか。
A、私は家が流されなかったので、自宅から通っています。町議をやっていたこともあ
って、避難所に通って運営をしているのです。
Q、仮設住宅の入居は始まっていますか。
A、間もなく始まると思います。仮設への入居を前提に避難所を去った人も多い。
先日、仮設の入居者がナベとかヤカンがないというので、本吉出身者から物資の支援を
受けて配ったところです。
Q、物資の支援を受けるとしたら何がありがたいですか?
A、避難所は自分たちで炊き出しをやっていますが、肉とかはありませんので、送って
いただくとありがたいです。
Q、お酒やタバコはどうですか?
A、本当にありがたいです。私は遠慮せずに飲んでくださいと言っていますが、お酒も
たばこもありませんし、みなさん遠慮もされているようです。
Q、これからの問題はどんなことがありますか?
A、避難所を出た人は、「自立」するようにというのが国の方針みたいですが、
仕事もなければどうやって自立するのか?それに高齢者なんかは、私どもはそういう
方々をどうやって支援していったらいいのかが本当に悩みです。
Q、義捐金の分配などはありましたか?
A、家を流された人にも聞いてみますが、ありません。
※本吉町の実情を知らせてくれたのは母親が同町出身で、本吉町への支援を続ける都内
に在住する女性からのメールでした。
【支援要請のメール】
市町村合併をして、志津川と歌津が南三陸町という新しい町となり本吉町は気仙沼市に
編入されました。結局『本吉町』の扱いから気仙沼市の端っこという扱いになったこと
で今回のことも「世間から何の注目も関心も持たれない地域になってしまった」という
思いが強いようで、「もっと関心を向けて貰いたい。現実を見て欲しい」と願っています。
避難所の再編により、一次避難、二次避難と移動をさせられる町民はおりましたが、南
三陸町に比べると仮設への着工が早く先週より出来上がった仮設への入居が始まってい
るようです。
小泉中学校の敷地内に建てられた仮設に関して言えば電化製品などはありますが、食料
と衣類に関しては支援なしのようです。
そして親戚が運営スタッフとして関わっている本吉町津谷地区にある避難所「松尾コミ
ュニティセンター」は仮設に入った方、遠方の親戚宅に移られた方、アパートを借りた
方などで現在20人のみの避難者数となりました。
(食糧支援に関しては、このような小さな避難所に至るまで
十分に行き渡っているそうでして、私は主に生活用品や衣類を支援していました。)
ただ独居老人に関しては「避難所を出たくない。余震が怖い。ここを出たら本当の独り
になってしまう」と出ることを考えていない方もいるそうです。
私が親戚と話し合っていることの一つに「せめて独居老人、高齢者のみの世帯の方へは
仮設に入ってからも支援をしていきたい。その方法はどうしたものか。どうやって要望
を取りまとめて、物資を送ればいいのか」ということなんです。
政府は「仮設に入ったら自立して欲しい。当面は何も支援せず様子見」という見解だそ
うですが、そんな悠長なことでは直ちに死に直結するお年寄りが大勢いるはずです。
親戚のような運営スタッフという立場の人間は避難所を出た特定の家族を追いかけて支
援しないようにと言われているそうです。
避難者全員をまんべんなく支援出来る訳もなく、それをしたら不公平感が出る。
運営スタッフ自身も自分たちの生活があることだし、物理的にも金銭的にも不可能な話
だと。
それはもっともな意見なのですが、働いて金銭を得る術を持たない方たちの支援は途切
れさせるわけにはいかないですしその道筋を一日も早く見出さないと、老人は死んでし
まいます。けれど、素人同士が幾ら知恵を絞ってももう限界で...。
南三陸町からですと国道45号にある小泉大橋は使えませんのでその手前、小泉の町(の
会った場所)から回り込んで津谷川沿いを進む道を利用すると津谷地区まで辿り着けま
す。
(車の流れはそのルートしかありませんので、すぐお分かり頂けるはずです)
もし山際さんのお仲間の方たちが足を延ばして頂けるならば是非、現地で連絡を取って
頂けたらと思います。
気にかけて頂いて本当に感謝しています。ありがとうございます。
どうか今後とも、お知恵を拝借出来れば幸せです。
(私の次回気仙沼訪問は6月11日から13日を予定しています)
K・A
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