山際澄夫のホームページ

◇世話人さんからのメッセージ



○私たちは必死で生きた!

気仙沼市津谷Sさんn(本吉町元町議)
早いもので一年が経ちますね、皆さんの協力、支援によりここまでこれたのかなぁと
思っています。海から4〜5キロ先まで来るとは我々でさえ予期せぬ事であり、死亡者が
多く出たのもそのせいでした。

気仙沼市平貝(小泉地区)Oさん(特養ホーム勤務)
こんにちは、3・11 震災の日が近づいてきます。あのとき私たちは津波と火事で追い詰めら
れました。そのときのことが思い出され、再びその日が巡ってくるのが怖いです。ちょっとした
揺れにも逃げる構えをしてしまいます。

南三陸町歌津田の頭Aさん(漁師夫人)
まだ1年…もう1年というべきでしょうか?とにかくここまで必死に過ごしてきました。
周りはまだまだ爪痕が多く残っており、ここに住んでいるのがたまらなく嫌になる日も
あります。しかし私としては『よくここまで復旧したな…』という気持ちの方が強いです。

南三陸町志津川戸倉Hさん(漁師夫人)
震災後、食糧から冷蔵庫、水中ポンプまでその節はお世話になりました。
私どもも、無我夢中で仕事をしてきました。
でもここにきて放射能の問題が出てきました。

南三陸町志津川入谷仮設Canさん (美容室経営)
一年前、娘の中学校にお米を持って逃げ400人の避難者にお粥を作り、300人の学生には妹が
家に有った飴を渡して、自然現象には人間は勝てないなと思いながら 一夜をすごしました。
私達には帰る家が無かったのです。

南三陸町志津川小森仮設Kさん(災害FM局勤務)
未曾有の大震災からまもなく1年が過ぎようとしております。
皆様には、言葉では言い表せないくらいの支援をして頂きました。心より感謝申し上げます。
この1年、皆様の支援と励ましのお言葉、手紙に救われました。

(南三陸町志津川袖浜仮設Oさん(建築関係勤務)
結構悩みながら今までを振り返って思う事は、[一言報恩 ]、[報恩謝徳]です。
短いメッセージだと、言葉が全然たりないので、四文字熟語にしました。

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