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酒谷先生のレポート

山際様
先週の土曜日、予定通り登米、南三陸町、気仙沼を視察してきました。
この日は震災からちょうど3カ月目でした。そのためか、被災地も少し落ち着いた雰 囲気を感じました。
まず登米を訪問しましたが、内陸のためか目立った被害はなく、当日復興市が開催さ れていま
した。
ユナイテッドアースという阪神大震災を契機に発足した神戸の支援団体がこの復興市 を企画していました。
その担当者から復興市に出席していた南三陸町の町長などを紹介して頂き、被災者の状況について
伺いました。
この地域は最も被害が大きい地区の一つで大勢の被災者が未だ避難所にいるそうですが、精神的なストレスが
かなり溜まっているとのことでした。

その後、南三陸町を訪問しました。のどかな田園風景を通り抜けて海に近付くと、突然、壊滅状態の町が
目に飛び込んできました。
志津川病院も破壊されていましたが、街の高台に仮設の診療所が設立されていました。
診療所の看護婦さんに話を伺うと、被災者はストレスが溜まっているためか、避難所ではちょっとしたことで
喧嘩が起きることが多くなってきたそうです。
また、ストレスは被災者もさることながら、医師や看護婦など医療従事者の方が強いとのことでした。
つまり自分たちも被災者なのに被災者の診療に当たらなければならず、気持ちが休まる暇がないというのです。
これは役場の人も同じとのことでした。
実際、対応して下さった看護婦さんも疲労の色を濃くしていました。

その後、ご紹介して頂いた気仙沼のS氏に面会に行きました。
避難所を案内して頂きましたが、ちょうど仮設住宅に移った後で被災者の方はおられませんでした。
コーヒーとお菓子を頂くという、予想外のもてなしに戸惑いながらS氏の話を伺いました。
高台に家があり被害を免れた人、低地に住み家を流され家族を失った人、また職場を失った人、
そうでない人など被災者も様々な背景を抱えているとのことでした。
このような被災者をまとめて来られたS氏の努力は大変なものだと思いました。
また、被災者の多様なニーズに応えてこられた皆さんの「ダンボール一箱」の支援はこの3カ月間の殺伐とした
避難所生活を支えてきたことが実感されました。
避難所で診察する予定を伝えていたので、S氏が手のしびれや肩の痛みのある高齢女性を紹介してくれました。
脳ではなく脊髄神経の症状でしたので、同行していた鍼灸師に鍼治療をしてもらうと症状が軽快して喜んで
おられました。
被災地では東洋医学が効果的との話は聞いていましたが、確かに鍼は薬が必要ないので被災地で役立ち
そうな印象でした。

翌日の日曜日には、名取市で独自の医療支援を行っている東北大学の医師にお会いしましたが、
この先生も東洋医学が専門で漢方薬と鍼で治療にあたっているとのことでした。

今回の視察を通じて感じたことは、震災から3カ月が経ち、被災者の心理状態も直後の恐怖、
パニックからやり場のない怒りや将来への不安へと変化していることでした。行政などの対処
だけでなく、被災者の健康を守る医療的なストレスマネージメントが重要な役割を果たすように思います。
今回できたネットワークを使いながら、被 災地での医療支援を計画していこうと考えています。
また進展がありましたらお知らせします。
取り急ぎ、ご報告まで。
では今後ともよろしくお願い致します。

6月13日  日本大学医学部脳神経外科
酒谷 薫


本吉町の仮設住宅でしょうか。

遠藤未希さんが犠牲になった南三陸町の防災庁舎です。



上2枚は登米市の復興市ようです。