山際澄夫のホームページ

松下さんの5回目の訪問記


○いつも大変お世話になっております。
日曜日(10月2日)の晩に無事帰宅しました。
今回の目的は前回現地へ伺った時に小森の世話人さんにお約束した原付バイクを届けることと、
入谷の世話人さんの美容室の新しいお店の見学でした。
美容室は事前にトレーラーハウスと聞いていたので、自分なりに想像していたのですが、現物は
はるかに綺麗で立派なものでした。私が着いた時はまだ店内にダンボールや取り付け前の照明が
置かれていましたが、すぐにでも営業できる状態になっておりました。一言で感想を言えば「恐
るべし」震災後、紆余曲折を乗り越えてよくぞここまで・・・といったところでしょうか・・・

 入谷の仮設への支援については、入谷は野菜の入手が容易なため、他の物の支援をお願いしたいと
のことでした。その他の地区については今まで通りで大丈夫です。 また、田畑さんが物資を配布
している方々の中には写真を撮られたくない、という方がいらっしゃるそうで、写真はなかなか撮れ
ないとのことでした。
 夜は小森の世話人さんのお世話になり、夜中までビールで盛り上がりました。小森の仮設の横には
森があり、栗が実っていました。小森の仮設は、何種類かある仮設の中で最も人気のない造りの仮設
です。この仮設では防寒対策が不可避になると思われます。
 翌日は歌津へ伺うために小森を出発し、途中、志津川中学で町の全景を撮影するつもりだったのですが、
イベントのために入れず、断念しました。いつも歌津へは馬場中山地区を通って行くのですが、
「へそ曲がりの松下さん」は今回は海沿いの道を行くことにしました。案の定、途中、道が半分崩れた
ままだったり、通行止めだったり、道が無くなっていたりと、時間はかかりましたが、写真を見る通り、
海は穏やかで綺麗、震災さえ無ければ心安らぐ景色でした。歌津では以前にこのホームページで紹介されていた
ホタテキャンドルを作る作業場の見学を勧められ、作業場にお邪魔して色々とお話を伺うことができました。
出来たキャンドルは写真にあるものですが、ホームページで拝見した当時のものに比べると、
華やかさが増しており、色々と工夫された跡が見受けられました。自分達で工夫して効率だけでなく
完成度を高くして行くのは日本人の得意とするところです。現在、作業に携わっている方は5名ほどだ
そうで、朝から夕方まで製作しておられるそうです。11月初めには東京の駒沢公園のラーメンのイベント
でブースを確保してもらい、そこでキャンドルを販売するそうです。  

前回訪問した時は「ずいぶん片付いたなぁ・・・」との印象を持ったのですが、今回は「前回とあまり変わって
いないなぁ・・・」というのが第一印象でした。それと、今回はルートを変えて走ったためか、地区によって
復旧の程度に大きな差があることに気が付きました。たとえば志津川と歌津。今後、これらの差が不満の原因になら
なければ良いのだが・・・と心配になりました。
 仮設の防寒対策は喫緊の課題です。造りのしっかりした仮設はともかく、造りのあまり良くない仮設
では室内に鉄骨がむき出しになっているため、防寒だけでなく、結露対策も必要です。一応、壁には断
熱材が入っているとのことですが、床下は断熱材が入っていない可能性があるので、いくら暖房をして
も床から熱が逃げて行ってしまうのではないかと感じました。

このため、床には建築資材の発泡ポリエチレンを敷くのが有効ではないかと思われます。ホームセンターでは
ちょっと高価ですが、建築資材用のものを仮設団地単位で購入すればかなり安価になります。
1つの団地では間取りが均一のため、一軒で
採寸すれば全ての部屋で使用が可能となるため、小森の世話人さんにはこの方法を薦めておきました。
また、仮設は一部屋がちょっと狭いので、大きめのコタツは不向き、かと言って部屋の入り口がドアになって
いる仮設では(カーテンの仮設もあります。)石油ストーブは酸欠の心配がありそうで、お年寄りだけの世帯
では心配です。結局はホットカーペットが良いような気がしますが、それには床の断熱対策が必要で、なか
なか難しい事ばかりです。

 今回、世話人の方々に色々とお話を伺った中で、最近、泥棒が増えている。という話題がありました。
震災直後から避難所が閉鎖されるまでは街に建物らしいものはほとんど無く、昼夜を問わず全国のナンバー
を付けたパトカーや自衛隊の車両が巡回していました。前回までは、何もない所なのに、何でこんなに多く
のパトカーが走っているのだろう?と思っていたのですが、それはそれで治安の維持に大きく貢献していた
のだと気が付きました。今回は一度しかパトカーとすれ違いませんでした。
 前にも書いた通り、今回の第一印象は「前回とあまり変わってないなぁ・・・」ですが、これは、致し方ない
のかも知れないと自分なりに納得しました。私の南三陸行きは今回で5回目になりますが、「へそ曲がりの性格」
のせいか?そのつど行く道や現地でのコースを変えています。そのおかげか?色々な所を見る事ができました。
最初に行ったのは5月初めで、町はかれきにうずもれていて、ライフラインと呼ばれるものは壊滅して皆無でした。

それが6月、7月、8月、9月、10月と、月を重ねるごとに少しずつですが片付いて行き、この調子で行けば・・
というのは大間違いで、実はがれきは分別されて一纏めになっただけで総量は変わっていないのです。
また、片付いたように見えるのは人口の多かった地区だけのようで、奥に入った所は5月とほとんど変化なし
という状況です。
では、行政が怠慢なのか?たしかに、今ひとつとしか言えない部分もありますが、やはり一番の原因は政府
というか政治の覚悟が足らないということだと感じました。

南三陸町の人口は約17000人、一般会計の予算は約70億です。土地のかさ上げや高台移転だけで2000億と言われ
ているわけですから、国の補助なしには復旧は不可能です。
また、膨大なかれきを処理するためには予算だけでなく、被災地以外の自治体の協力が不可欠です。
ところが現実の政治は入り口にもたどり着いていない状況ですから、町も踏み出せない、踏み出せないからJRも
復旧計画を立てられない、被災者の方々はしびれを切らしてしまう。歌津のホタテキャンドルの作業場の一人の方
は自費で仮設住宅を建てて暮らしておられました。行政の仕事を待っていたのでは復興はおろか復旧もおぼつか
ない・・・というのが本音でしょう。
これらの問題が解決するのは当分先になるでしょうから、我々の支援もこれらの状況を踏まえて細く長く、
地道に続けて行く必要があると思います。



写真上、美しい海が印象的でした。

小森仮設住宅では栗の実がなっていました。


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